狭き門を潜り抜けた8名の学生は5年振りに再開された台湾研修旅行に参加。
通常の観光旅行ではなかなか出来ない体験、様々な出会いを通じて、
大きな成長を見せた研修生たち。
そんな短くも濃密な5日間をハイライトでご紹介。
コロナ禍の影響もあり5年振りに実施した台湾研修旅行の参加者計8名は3月26日早朝東京大手町で一堂に会し、エバー航空で羽田空港を発った。初対面の中、年齢も異なり緊張した様子であったが、台北到着後の夕食で円卓を囲みながらのコミュニケーションで徐々に打ち解け始めた。
2日目には日本統治時代の名残が随所に見られる総統府を見学。その後、教育部国際両岸教育司を表敬訪問。陳俞妏副参事らにお招き頂き、台湾の科学分野を含め多分野での教育水準の高さ、日台交流促進のための奨学金制度の充実、原住民への教育支援などの説明を受けた。学生からは海洋教育の取り組みやアジアで初めて同性婚を合法化するなど先進的なLGBTに関する取り組みについて多くの質問があり、活発な意見交換が行われた。午後には今回の研修のために特別開放して頂いたフランスバロック様式の優美な台北賓館を見学し、現地ガイド蔡さんの案内に学生達は耳を傾けた。
教育部で台湾の教育の現状について、真剣に議論を交わす研修生たち
続いて外交部へ表敬訪問し、日本文教事務科李蕙珊科長と姚品均薦任科員との質疑応答を通じて台湾外交の現状について理解を深めた。現在、台湾と正式に国交があるのは12か国しかなく国際的に弱い立場で外交上の難しさはあるが、自ら積極的に動くことで切り開くことも可能で、それが仕事のやりがいでもあり、楽しさでもあると学生達に熱心に説明した。
夕食では、台湾在住作家の片倉佳史氏も同席し、台湾の歴史、文化、観光など様々なテーマをレクチャー。台湾史を学ぶことによって日本史に繋がり、更には世界史へと広がる。困っている人がいたら助けるという民族性も相まって台湾はとても面白く興味が尽きないといった話を伺った。研修旅行らしく政府機関の訪問を中心とした濃密な1日を過ごし、疲れた体をホテルで癒した。
外交部で熱い議論の後の記念集合写真
3日目は現地との学校交流として東呉大学を訪問。4人の日本語学科の在校生とキャンパスツアー、グループでの意見交流、食堂での昼食を通じて、学校生活の裏話を含めて和気あいあいと交流した。日本の漫画が図書室に多数置いてあるなど、日本との違いを学生達は感じたようだ。その後は、観光の定番である十分へ向かい、それぞれ思い思いの願いを天燈に書き、晴天の空へ打ち上げた。続いて「千と千尋の神隠し」の舞台とも言われている九份で、台湾スイーツの食べ歩きや特産物の買い物をするなど学生達は束の間のフリータイムを楽しく過ごした。夕食では産経新聞矢板明夫支局長を囲んで、台湾政治の話や新聞記者としてのエピソードを交えて楽しく会話した。現在のデジタル中心の時代では手間暇かけて取材されたニュースでもクリック数が稼げなければ評価されない一面もあるので、新聞メディアとしての難しさやリアルな現状を学生達に伝えた。
東呉大学の学生によるキャンパスツアー
4日目には、日本の新幹線の車両技術を導入した台湾高速鉄道に乗車。台北駅から嘉義駅への約90分間の移動で、日本の技術力の高さと日台の繋がりを改めて感じながら楽しんだ。到着後、台南特有の暑さの中、今回の旅行で何度も話題に上った水利技術者の八田與一氏が建設を監督した烏山頭ダムへ訪れた。記念館でビデオ鑑賞後、八田與一氏の銅像を見学。お花が手向けられているなど現地の人々に大切にされている様子が垣間見られた。100年以上前の日本人の功績により、現在の日台友好へと連綿と続いていることを実感した瞬間でもあった。その後、2回目の現地の学校交流として、創立100周年を迎えた国立台南家齊高級中等学校へ訪問。陳韻如校長を中心に先生、生徒から熱烈な歓迎を受けた。同校は先日、参加者の在籍する福島県の高校へ訪問したこともあり、今回の交流で奇跡的な再会を果たす一幕もあった。在校生による歓迎セレモニーを経てスマホを使ったクイズ大会、キッシュのベーキング体験、台湾舞踊のデモや体験など短時間にイベントが目白押しで台南の学生のエネルギーに圧倒されつつも、アニメ、芸能の話題を中心に話の花を咲かせた。
そして今回の旅行のメインイベントの一つであるホームステイで学生たちは各家庭ごとに分かれて宿泊。アウトレットや夜市へ向かうなど、旅行最後の夜を台湾の温かい家庭に囲まれながらそれぞれ素敵な一夜を過ごした。
記念館で八田技師の功績を辿る
一緒に踊れば言葉の壁も関係なし?!
最終日は台湾高速鉄道で再び台北へ戻り、お茶の体験、お土産を買い、松山空港から帰国の空へ飛び立った。今回の研修旅行で5日間と短い期間ではあったが、学生たちも『台湾』という共通のテーマの下に悠久の時を過ごしたような仲間意識が芽生え、研修で学んだ日台の歴史や日台友好の未来を胸に、名残惜しそうに最終地である東京駅を後にした。
すっかり仲良くなった仲間たち(台湾高速鉄道の車両にて)