
産経新聞社は、オンラインセミナー「人的資本経営 ~変革の時代を勝ち抜く人事・組織戦略~」を開催し、各界の専門家や企業の経営層が登壇しました。本セミナーでは、不確実な時代を勝ち抜くための人的資本経営のあり方、企業価値向上に資する人材戦略や組織変革の具体的なアプローチが多角的に議論されました。
楠木教授が語る「人的資本経営の本質は長期利益と『良い仕事』」
一橋ビジネススクール特任教授の楠木健氏は、「人的資本経営」の真の意義と、それに伴う「同時代性の罠」への警鐘を鳴らしました。楠木教授は、自身の著書『逆タイムマシン経営論』の概念を引用し、未来の予測が困難な現代において、過去の事実から学び、「激動期トラップ」といった流行り言葉に踊らされず、変わらない経営の原理原則に立ち返ることの重要性を強調しました。

教授は、人的資本経営の究極のゴールは「長期利益の創造」にあると明言しました。「利益が想像できるということは競争の中で独自の価値を生み出している最も正直な物差し」であり、ESG(環境・社会・ガバナンス)もまた、「道徳的な商売が一番長期でがっつり儲かる」という点で、この長期利益に資するものであると説きました。
また、日本の伝統的な「年功序列」や「終身雇用」といったメンバーシップ型雇用は、かつては合理的な選択であったものの、現代では機能しないと指摘。欧米で一般的なジョブ型雇用への移行は、「ようやく普通の時代になっただけ」であると述べました。
人的資本を「投資の対象」と捉える重要性を説き、「仕事の報酬は基本的に『良い仕事』と『良い給料』の2つしかない」と主張しました。特に「良い仕事」は、単なるスキルアップを超えた「センス」の領域に深く関わるとし、AIがスキルをコモディティ化させる時代において、個人の「好き嫌い」に依存する「センス」こそが、生産性を飛躍的に高める鍵になると強調。企業は「一人ひとりが自由闊達に自分の好き嫌いを語ることができ、経営がそれを汲み取って好きな仕事を与えられる状態」を創造すべきであり、これが「究極の人的資本経営」であり、「努力の娯楽化」こそが最強の人的資本経営であると結論付けました。
慶應義塾大学 岩本教授が説く「無形資産としての人的資本開示」
慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特任教授の岩本隆氏は、「人的資本経営と人的資本開示の最新動向」と題し、第4次産業革命がもたらす産業構造の変化と、それに伴う企業価値評価の変遷について解説しました。岩本教授は、特にソフトウェアやデータ産業の成長により、S&P 500社の企業価値に占める無形資産の割合が2020年には90%に達している現状を指摘。投資家が有形資産だけでなく、人的資本をはじめとする無形資産の評価に高い関心を持つようになったと説明しました。

この背景から、人材マネジメントの国際標準化を推進するISO/TC260(ヒューマンリソースマネジメント)が2011年に創設され、日本も2023年3月よりメンバーとして国際標準化に積極的に参加していると紹介。特に、内部・外部への人的資本報告のガイドラインであるISO 30414は、11の領域と58の測定基準(メトリック)で構成され、世界各国・地域で人的資本開示政策の検討基盤となっていることを説明しました。岩本教授は「ISO 30414の認証取得企業数では、日本が実は世界トップ」であると述べ、日本の先進性を示しました。
日本政府も内閣官房が人的資本開示ガイドラインを公表しており、有価証券報告書におけるサステナビリティ開示が2023年3月期から義務化されたことで、人的資本の開示が加速している現状を報告しました。
岩本教授は、人的資本開示における三つの重要なポイントを挙げました。
・定量性: インプットからアウトカムまでの測定可能な指標と目標設定。
・ロジック: 企業活動の各プロセス(インプット、活動、アウトプット、アウトカム)における一貫した論理の構築。現状、多くの企業でKPIは設定されているものの、ロジックが不明瞭な点が課題であると指摘しました。
・ナラティブ: 聞き手(投資家や社員)が「腹落ちし、行動につながる物語」として語られることの重要性。単なる「ストーリー」ではなく、「ナラティブ」という言葉が世界経済フォーラムでも提唱されており、あらゆる領域で重要性が増していると強調しました。
最後に、日本の「企業は人なり」という伝統的考え方がありながらも、旧来の年功序列型人事制度が「制度疲労」を起こしていると指摘。これを「金太郎飴型」から「プロスポーツ型」へと変革することが、日本企業の大きな課題であると締めくくりました。
日立製作所が示す「経営戦略と連動した人的資本経営の実践」
株式会社日立製作所 執行役専務の中畑英信氏は、2008年の過去最大赤字(7873億円)という危機を乗り越え、現在過去最高益を達成している日立の経営改革の裏側にある「経営戦略と連動した人材戦略」について具体的に語りました。

中畑氏は、2009年からの経営改革で「事業戦略」「コーポレートガバナンス」「人材戦略」の三本柱を並行して実行したと説明。特に事業戦略においては、社会課題の複雑化、デジタル化、グローバル化という環境変化を捉え、従来の「製品・システム提供(国内中心)」から、「データ活用サービスをグローバルに提供する社会イノベーション事業」へと大きく舵を切ったことを強調しました。この転換には、プロダクトアウトから「マーケットイン、マーケットクリエイト」への発想転換が必要であり、IT(情報技術)、OT(制御技術)、プロダクトの強みを活かし、サイバー空間とフィジカル空間をデータでつなぐビジネスモデルを推進していると述べました。これにより、海外売上比率や海外人員比率が大幅に増加し、M&Aを通じてこの数年で約10万人の社員が新たに加わったことを報告しました。
この新たな経営戦略を支える人材戦略として、以下の6つの具体的な施策を挙げました。
・グローバル共通の人材マネジメント基盤構築:多様な人材が共に働くために、評価方法やデータベースを共通化。
・D&I(ダイバーシティ、エクイティ&インクルージョン)の推進:事業成長のエンジンと位置付け、ジェンダー、文化的、世界の多様性を推進。特に「イキティ(公平性)」を重視し、使用言語の英語化など、機会の公平性を担保。経営リーダー層の外国人・女性比率を2030年までに30%にする目標を掲げています。
・経営リーダー層の選抜・育成:事業戦略の変化に対応できる「変革力」「市場洞察力」「戦略性」「多様性を受け入れる力」を持つ人材を選抜。若手層を「Future 50」として意図的に育成し、経営経験を積ませる機会を提供。
・デジタル人材の確保・育成:デジタル事業拡大のため、3年で3万人のデジタル人材増強を計画。国内では日立アカデミーを通じて既存人材のリスキリングを進める。
・人財マネジメントの転換(ジョブ型雇用へ):グローバルでは既にジョブ型であり、日本も社会環境変化や多様な人材の活躍のため、ジョブ型へとシフト。会社が「職務の見える化」(ジョブディスクリプションの導入と公開)、個人が「人材の見える化」(Workday導入によるスキル・経験登録)、そして「双方のコミュニケーション」(労働組合との継続的な交渉)を通じて、この転換を進めていると説明しました。
・成長に向けたカルチャー醸成:企業理念の共有と、M&Aで加わった企業の良い文化の統合を、タウンホールミーティングやPMIプログラムを通じて地道に進めていると語りました。
中畑氏は、これらの人材戦略の成功には、「経営トップの強いコミットメント」、「中長期的な視点」、「人材戦略の重要性の位置づけ」、そして「社員が腹落ちするコミュニケーション」が不可欠であると強調。結果として、2008年の大赤字から過去最高益を達成し、株価も大幅に上昇していることを示し、「成果が出るまでには時間がかかる」ものの、継続的な取り組みの重要性を訴えました。
<協賛企業>株式会社マネーフォワード/Ridgelinez株式会社/株式会社カオナビ/株式会社SmartHR/株式会社プラスアルファ・コンサルティング/本気ファクトリー株式会社
